現代美術作家、北村義博のプロフィール
フィーリングアーツは北村義博が名付け、
<すべての人がフィーリングアーツを通して、心と体のバリアーフリーをめざして>
提唱しているアートです。
フィーリングアーツ委員会代表。 フィーリングアーツの普及に努める現代美術作家。 1976年高橋佳子氏に出会いフィーリングアーツの原点とも言えるビジョンにみひらき、キャンバスに土と墨汁と金色を使い創作する。 大阪芸術大学美術学部泉ゼミ卒業。東京・Bゼミスクール卒業後、1980年渡米し加藤南枝に学び帰国後、自らの絵画に青、赤、黄の光の三原色を当て、音楽と共に作り出すフィーリングアーツを完成。つくば科学万博・パピルスプラザを始め、大阪府・大阪市主催、文化庁後援、大阪府民芸 術フェスティバルや西ドイツのベルリン日独センター(旧日本大使館)、バングラディシュチッタゴンのアイ・インファーマリィ病院等で公演し、アートとしてのフィーリングアーツを追求するかたわら、ホスピスなどの医療現場や障害者施設、医療や環境シンポジウムでも多数公演し、芸術・医療・福祉など全てのカテゴリーを超えて「命のまなざし」を問いかけ続けています。 | ||
現代美術作家 フィーリングアーツ 北村義博 |
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♪ 今までのフィーリングアーツコンサート活動報告です ♪
1980年 3月 渡米。 |
1981年 8月 東京・神田「画廊パレルゴン」 |
1984年 11月 (国際青年の会)全国青年シンポジュウム 総務庁後援。 |
1985年 5月 筑波科学万博「パピルスプラザ」。 |
1985年 11月 「大阪府芸術フェスティバル」 大阪府・大阪市主催:文化庁後援。 |
1987年 3月 近鉄小劇場。 |
1988年 10月 西ドイツ、ベルリン「日独センター」。 |
1989年 12月 宮城マリコさんの「ねむの木学園」。 |
1991年 6月 京都聖マリア養護学校。 |
1991年 8月 「プラネットステーション」大阪府主催。 |
1992年 5月 「近鉄アート館」近鉄百貨店主催。 |
1992年 11月 淀川キリスト病院ホスピス病棟。 |
1993年 3月 大道会・ボバース記念病院。 |
1993年 5月 吹田市メイシアター。 |
1993年 6月 トータルライフ医療学術集会。 |
1993年 10月 ホリスティック医学シンポジュウム。 |
1993年 12月 つかしんホール。 |
1994年 3月 第1回フィーリングアーツ生命学 生命科学振興会後援。 講師:松岡英宗(生命科学振興会会長) |
1994年 6月 日本保健医療行動学学会全国大会。 |
1994年 9月 フィーリングアーツ生命学 生命科学振興会後援。 講師:柳井 勉(大阪教育大学教授) |
1995年 6月 フィーリングアーツ生命学 生命科学振興会後援。 対談:倉光弘巳(神戸大学教授)、中川米道(大阪大学名誉教授) |
1995年 9月 フィーリングアーツ生命学 生命科学振興会後援。 対談:柳沢壽男(記録映画監督)、菊地美智子(フリーアナウンサー) 前田 豊(西宮文化振興財団文化振興課長) |
1995年 9月 フィーリングアーツ生命学 生命科学振興会後援。 対談:倉光弘巳(神戸大学教授)、菊地美智子(フリーアナウンサー) 長尾文雄(関西いのちの電話元事務局長) |
以降につきましては、年代別をご覧下さい |
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阪神大震災では被災地でも数回公演し、96年3月に、神戸市中央心のケアセンターから公演のご依頼をいただき、その後も5月に子供心身医療研究所のシンポジウム、9月には神戸いのちの電話などで公演、被災者の方々から「癒し」のフィーリングアーツと賞され好評を得、また、国際保健医療行動科学学会(会長:大阪大学名誉教授―故中川米造先生)、97年TOKYO地球市民フェスタ'97(主催:東京都、東京国際交流財団)にて公演。神戸心のケアセンター主催にて仮設住宅10カ所で公演。皆様からの支持を得て、癒しのアートとしてのフィーリングアーツを追求しています。 | |
すべての人がフィーリングアーツを通して、 心と体のバリアーフリーをめざしています。 |
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フィーリングアーツ、北村義博サイト一覧です。
■ フィーリングアーツの原画作品には必ず作品ごとのテーマがありますが、
その原画作品にライトがあたり、そして、クラシック、童謡、雅楽の笙の音色、
シンセサイザー、クジラの声など,こころ安らぐ音などとコラボレーションし体感者は、原画作品のテーマを超えて、
その原画作品から各人が自由に自分なりのイメージを膨らますことができるのだと思います。 |
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